Profile

私は、アメリカの大学を卒業後、
日本の1部上場グループ企業に入社しました。

そして、色々な部署で多くの事を経験したのち、
花形部署で事業戦略立案を担当しました。

実は、その当時

会社は国際化を急いでおり、競合他社から
外国人役員の引き抜きにようやく成功したばかりで、
経営会議などの会社の方針を決める会議体での
同時通訳を探していました。
事業本部に一風変わった人間がいるとのことで
私に声がかかりましましたが、
 
実のところ、
シンプルな公式で選ばれたようです。会社の事業がわかる人間+英語=私

こうして、
外国人役員の同時通訳を
数年間担当することになりました。

 
なにより、
一流企業の経営を肌で感じられる機会は
滅多に巡ってくるものではありません。
 
幸運とばかりに喜々したものです。
ちなみに、企業での同時通訳は過酷です。
朝から晩まで翻訳マシーンのように口から英訳を排出し、
頭では話の先行きを常に考えて、着地点を探している状態でした。文字通り「頭は常にフル回転」でした。

その当時は、

他人の考えを優先し、先読みすることばかりしていたので、
2年ほどたったところで、
自分がどこにいるのか?

自分の考えや価値観が希薄になっていく怖さがありました。

その後、
通訳から距離を置こうと退職を決意しますが、
留意に屈し、会社に残ることを選択しました。

なぜか、

「ついに魂を売り渡してしまった」
と感じたものでした。
 
同時通訳は
一流の会社の経営に触れられる貴重な経験でしたが、
その代償はあまりに大きく、やがてストレスから
自己免疫疾患で1型糖尿病を発病しました。

ある日突然、
インスリン注射の生活がはじまったのです。

心の悲鳴が体に現れたのだと、すぐにわかりました。
そして、病気になって初めて心と体が繋がっていることを
実感しました。

その後、持ちあがってきた海外赴任の話も
病気を理由に会社側から無かったことにしてくれと

言われる始末。
 
最後のオファーは子会社経営の話であっただけに、
何ともいえぬ残念な気持ちになったのを
今でもはっきりと覚えています。そして、
出口の見えない状況を打破しようと、
次にやることは特には決めずに
退職することにしました。

思い切って宇宙の采配に
任せてみようと思ったのです。

そして、待っていたのは。
「至福の時間」
5歳の息子を愛車のミニクーパーで
保育園へと送迎することが私の日課となりました。

念願のゴールデンレトリバーとの生活もスタートし、
結局3年間のセミリタイヤ(充電期間)生活となりました。

ゆっくりと幸せを感じながら
自分を幸せにすることだけを優先させました。
家族との時間は、
私にとって、かけがえのない時間になりました。

やがて、
セミリタイヤ生活を脱し、
外資系企業のプロジェクトマネージャーとして
社会復帰しました。

この先どんどん、幸せになっていくのだと
思っていましたが、
人生そんなにうまくはいきません。

外資系企業では、
周りの人間が、あまりの激務に心が疲弊していく様を
まじまじと経験する日々でした。

2年間で約20名が入れ替わる異常事態ぶりでした。

そして、ほどなくして
ライフコーチという職業に出会い、
私にも魂の目的があるこを知り、
自分らしく生きてみることにしたのです。

これからは、
これまでの経験をもとに、
心と人生の専門家として、
人生の転機にいる方を勇気づけること
そして、新しい道への可能性を示すことを
ライフワークとしています。

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